法人が歩んだ道
昭和20年代(草創の時代)
戦後の混乱の中、昭和27年7月に東京都で知的障害の子を持つ3人の母親たちで立ち上がった草の根運動に協力された糸賀一雄先生の呼びかけに、四国でただ一人、高知県より岩崎令子氏が参加されました。
同年10月、当時の行政・福祉・教育関係者らの賛同を得て「高知県精神薄弱者育成会」が誕生。設立当初、当時者宅に活動案内に訪問すると「うちにはそんな子はいない」と門前払いされるなど今とは比較にならない時代でのスタートとなりました。
高知県知的障害者育成会の生みの親である岩崎氏の手記には「戦後の混乱期からまだ抜けきらず、物資もなかなか手に入らない虚脱状態の中から民主主義は急速に進んでまいりましたが、今まであまりに顧みられなかった精神薄弱児問題は教育、福祉の面でもまだまだ不十分で、特に一般社会の理解はほとんどありませんでした。その頃、母親の立場から”この人たちは人としての権利を自ら訴えることはできないので親がかわって訴えなければならない”という人権を守る愛の灯が炎のように高々と掲げられて行政や社会を動かし始めました」と記されています。
障害福祉施策は様々な変遷を辿って今日に繋がっています。
時代が変わっても、法人としての理念は変わることなく脈々と受け継がれています。